山口二郎、後房雄の蹉跌。政治学者の権威の失墜?

 そんなものがあったのかどうか、今となっては疑問しかないのだが、山口二郎氏と後房雄氏は、政治学者に僅かながら世間が抱いていたかもしれない権威を決定的に失墜させたのではないかと思う。

 両者は共に、30代半ばで著名な国立大学教授になり、当初は、リベラルな立ち位置、どちらかと言えば左派と捉えられるところからキャリアをスタートさせた。それは、この世代の政治学者としては、当たり前のポジショニングだったのだろう。ポジションはともかく、彼らは、ある世代の政治学会のスター学者であったことは間違いない。

 後に、山口氏も後氏も民主党に接近し、一時は総理のブレーンと取りざたされたこともあった。事実として彼らがどの程度、政権の政策形成に影響を与えたのは不明だが、そのような報道があったことは事実であり、一定、政権と接触があったのは彼ら自身の著作やブログ等から確認できる。

 これは、私の印象論だが、時代が進むに連れて、山口氏は典型的な左翼学者として捉えられるようになり、後氏は、新自由主義に転向したように見えるようになった。両者の思想的な歩みについて考察することには興味がないのでここでは、感覚的にそうだということを述べるのみにしておく。おそらくご本人たちの認識は違うかもしれないが、一般的にはそのように考えられていると私は思う。

 そして両氏とも首長に対する対応で失敗し、その権威を失墜させた。批判者としての立場、ブレーンとしての立場とコミットの仕方は違ったが、見事に転んだ。一部の政治学者からは非難する声をも出たようだが、あまりそうした声は広がらなかったようだ(少なくとも表向きには)。特に若い政治学者は、自分の研究を世に出し、生き残るのに必死で、こうした社会化した問題に触れることは避けているようにみえる(一部の若手の政治学者からは、山口氏の橋下氏に相対した際の無防備さ、工夫のなさに呆れた声があがっていたようだが)。

 一番まずかったのは、失策を犯したのちに彼らは、素直に負けを認めなかったことだ。留保付きで言い訳めいた総括をおこなったりはしているが、私は負けていないとか、相手が悪かった、騙されたなどの子どもじみた言い訳付きの総括しかできなかった(少なくとも私にはそのようにみえる)。

 彼ら二人が、日本の政治学会を代表しているわけではないが、一連の彼らの行動は、間違いなく日本の政治学者のイメージを失墜させたと思う。ひょっとしたら、社会の片隅に微かに残っていた政治学者に対する敬意を失わせたという意味で、彼らは大きな実績を残したのではないか。

 行動したことはよい。現在のような社会状況の中で現実にコミットしようとしない多くの学者よりも彼らは評価に値する存在だと思う。しかし、行動後の出処進退に美学があまりに感じられなかった。そして日本人とは、何を述べるか以上にそうした美学を重視する民族なのだ。

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