沈むのが分かっていても止めなかった

 東電、長銀といったスーパーエリートの経験とは、とても比較にはならないが、自分にも船からいつ降りるかの判断が必要だったことがある。

 船が沈むとき、自分が下した判断は船が沈む原因がわかっているのに、原因を取り除かず沈むのを止めないというものだった。そして、自分も船に残った。Chikirinさんが、長銀の例を引いて書いているように、船が沈むプロセスはなかなか興味深、さらにその後の自分の人生にふりかかった様々な出来事は、ちょっとしたドラマのように思い返すと感じる。

 しかし、後悔というか、心の中に残り火のようなものがずっとひっかりとして残っている。あの時、自分が積極的に動いていたら流れは変わり自分の人生も変わったかもしれないと。ひょっとしたら、若気の至りで自らの力量を読み違えていて当時の自分にはそんな力はとてもなかったのかもしれないが。

 あれからずいぶん時が流れたが、その後の人生は、ずっと漂流しているような感覚が残るものだった。何に取り組むにもいい加減になってしまい、さらに色んなものを失った。それでも幸いなことに全てを失ったわけでなく本当に大事なものが一つだけ手元に残っている。

 しかし、決断すべき時に決断できなかったという経験は、喪失感を常に心に抱かせる素となって、いつまでも心を蝕む。