朝まで生テレビか
はてなブックマークのコメント欄では、書ききれなかった点を少し書き足す。
朝まで生テレビが、始まった80年代後半頃は、深夜とはいえ地上波の番組で天皇、やくざ、同和、右翼、新興宗教といった刺激的なテーマを議論する番組は他にはなかった。考え方の違う関係者を集めて言いたい放題言わせるだけで半ば喧嘩腰の激論になり、視ている側には新鮮で刺激的だったと思う。
社会的に問題になっているテーマに対して一ヶ月に一回とはいえ、じっくり時間をとって掘り下げて議論する。そんな番組時代が他にはなかったから、そういう場を作ったというだけで意義があった。
だが、20年以上たって状況は大きく変わっている。インターネットでは毎日のように時事的なテーマや社会問題について、解説をおこなったり、議論する番組が数多く配信されている。例えば、ニコ論壇のような専門チャンネルもできている。Youtubeなどの動画サイトにも、社会的なテーマを専門に取り上げている動画やチャンネルが無数にある。映像メディアではないが、ラジオ等がpodcast配信している番組のなかにも類似ものはかなりある。内容もかってなら、タブーとされたであろう領域に踏み込んだものが少なくない。
パイオニアとしての朝まで生テレビには敬意は払うが、もはや朝生が絶対に必要な理由はなくなったといっていい。
朝生の優位性がなくなった理由としてメディア状況の変化以外にもう一つ、視聴者の目が肥えたという点もあるかもしれない。あるテーマに対して、何が問題となっているのか、その解決策としてはどういうプランがあり、そのメリットとデメリット何か、実現可能性はどの程度か、何が障害になっているのかといったことを整理しながら、出演者が議論する姿を見て自らも考えたい。そういうレベルに達している視聴者が増えているのではないかと直感的に思う。
日本の社会状況は80年代のように楽観的なものではない、視聴者ものんびりと単なる意見の隔たり、すれ違いを絶望的なまでに確認するだけの番組をゆっくり視ている余裕はなくなっているのではないか。
田原総一朗は、意図的に物事を単純化しストレートに答えることしかできない質問を重ねることで、権力者の本音を聞き出すという技法を磨いてきた人だと思う。元々、討論番組の司会者というよりは、圧迫面接をするインタビュアーのようなもので、視聴者は、田原氏の質問や意見に答える人が、逃げたり、誤魔化したりしていないかを判断し、答えの真贋やその人物を見てきたのだと思う。半ば楽しんでいた部分もあるかもしれない。今でもその技法へのファンは一定数いるだろう。一方、若い世代を中心に、もうそういう朝生的なものは視たくないと感じる層の厚みが増してきているのではとも思う。
今の30代、40代ぐらいの研究者や評論家、ジャーナリストの中には、議論の作法、場づくりという点だけを考えるなら田原氏よりも技術的に長けている人物は大勢いる。彼らはスター性や一般的な知名度では、田原氏に比べるとずいぶん劣るかもしれないが、そうしたポスト田原世代(?)が作りつつある言論空間は、朝生的な空間よりもきっと面白いものになるのだろうと期待している。田原氏もそういうものが生まれてくることを喜ぶのではないかと勝手に考えている。
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