「生きづらさ」について

 2007年頃は、反貧困、プレカリアート、生きづらさといった言葉に象徴される運動が、勢いを持ち始めていたころだったのだと再認識した。その後、2009年の政権交代辺りが頂点で、現在は、やや勢いを失いつつあるのではと思う。

 この国では、不思議と社会的な公正をさまざまな財の再分配を通じて担保するという思想が定着しない。誰でも社会的な弱者になる可能性はある(例えば、事故にあって障害者になるなど)のだから、公的な制度によるサポートを充実させることは誰にとっても有益なことなはずなのだが、そのこところはあまり合理的な判断が働かないようだ。

 自らが弱者であるということを自覚し、そのことを社会に表明することに対することを恥と感じる文化が根強いからなのだろうか。もしくは、弱者であることを当事者が声を上げて発信すると往々にして理不尽な批難を受けるからなのだろうか。読みながらそんなことを考えた。


「生きづらさ」について (光文社新書)

「生きづらさ」について (光文社新書)