堀井憲一郎の坂本龍馬論

 坂本龍馬の実像を学ぶとわかることは、坂本龍馬をロマンとしてサブカルの人間が語るのはいいが、現実の政治家が尊敬する人としてあげては駄目だということ。そんな政治家は信頼できない。坂本龍馬ではなく、大久保利通伊藤博文を政治家は目指すべきだという堀井氏の議論には、まったく異論がない。政治家は、なすべきことを淡々となせばいいのだ。それが一番難しいのだが。

 一点、堀井氏と私では「維新」という言葉を使うことを何とか許せるという点では、好みが違うが。

 破壊を望むうねりが、国民の意思として大きく生まれことはあるのだろうか。どこかの学者さんはそんな心配をしているかもしれない。しかし、そこまでの力が創造されるポテンシャルが、まだ、この国にあるとは思えない。いや、ぎりぎりあるのかもしれないが、ここ5年ぐらいで萌芽がでなければこのまま終わりだろう。

 この国の国民は緩やかな停滞を望んでいるのではないか。ここまで来ると停滞、凋落シナリオが現実的だと感じる。生死にかかわらなければ停滞も悪くはないのだが。